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11号 正しさよりも心遣い

2020.06.01

緊急事態宣言は解除されましたが、県境を超えての移動の制限などもあり、日常へ戻るのにはしばらくかかりそうですね。

先日、息子(高1)から「とーさん、○○を片付けてないでしょ。昨日からほったらかしで、片付けなよ」と注意されました。こんな時は、皆さんどうされますか?

彼の言っていることはもちろん正しいですが、私は「気が付いたお前が片づけたらいいんやん。どうして片づけないの?」と問い返しました。「とーさんがちらかしたものだから」と返答があり、「そうか」と言って私が片づけました。もちろん私のやりっぱなしの行為に非はありますが、伝えたかったことは、「多少の損は引き受ける。正しさをむやみに主張すると生きずらくなる」です。

息子の言い分は100%正しいです。ただ極端な例でいうと、彼がやろうとしていることは、道端でごみを捨てた人を捕まえて、ごみ箱に捨てなさいと注意をしているようなもので、それよりも自身がゴミを拾って、ごみ箱に捨てたほう(損を引き受けること)が実際的であると思うのです。

デル・カーネギーの人を動かすに「こちらに5分の理しかない場合は、どんな重大なことでも相手に譲るべきだ。100%こちらが正しいと思われる場合でも、小さな事なら譲った方が良い。細道で犬に出会ったら、権利を主張して噛みつかれるよりも、犬に道を譲ったほうが賢明だ。たとえ犬を殺したとしてもかまれた傷は治らない」とリンカーンの言葉を紹介しています。

また、ある人から「自分の枠(権利)を使い果たさない」ということを教えてもらいました。これは「腹八分目」とよく似た教えで、自分のお腹が一杯になるまで自分の欲を満たさない方が長期的に見たら良いことが多いよと教えていだきました。

今の時代「自分の権利を主張して、自分の枠を使い果たさなければ損だ!」という考え方が広がっている気がします。しかし、本当に損なことのでしょうか?

仕事で、時間を基準に給料を計算したり、同一労働同一賃金と法律に正しく働こうとすると「タイムカード打刻時間はすべて労働時間だ!」とか「どうしてあの人と私が同じ時給なの?」とか極端な場合は「飲み会は労働時間」という考えが湧くかもしれません。

今はやりの自衛警察も似たようなものではないでしょうか?自分の正しさ(権利)を振りかざして、相手を傷つけていきます。こういう人は、他人よりも自分の方が上でいたいと考えています。そのため、他人の足りないところフォローしようとするのではなく、足りないところを指摘して嫌われてしまうと思うのです。

世の中は、私を筆頭に欠点や弱点を持つ人がほとんどだと思います。その不完全な自分を嫌っているのは、実は自分だけなのです。不完全な自分を許し、それでも支えてくれている人たちがいることに気づいている人は、そんな自分を許すことができますし、他者にも寛容になれます。その結果、他者から受け入れられやすいと思います。敵よりも味方が多い人の人生の方がずっと楽しく、豊かであることに間違いはないと思います。

他人のあらを探すことや他人の優秀さ(結果)ではなく、人の良い意図(心遣い)や努力を見つけ、それに敬意(尊敬)を示すことですことができるようになれば、人生を追い風で暮らせるようになるに思います。

私の場合は、それよりも先に自分のことをキチンする大人になっていきたいと思います(涙)。