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13号 認知のゆがみ

2020.07.01

ある社長さんから、人生を幸せと感じるのか不幸だと感じるのかは、認知(物事の見方)があると教えてもらいました。同じ出来事を経験しても、それをどう捉えるか(意味づけるか)によって、見える世界はまったく異なるというのです!
 
例えば、狭い道で対向車と鉢合わせになり、対向車が少し下がってくれればすれ違えるのに、相手がバックしてくれないときはどうしますか?と言われました。
そんな時、私は「どうして俺が下がらなければならないんだ!と思って、そこから下がりませんよ。」というと、辻さんには「バックしたら負けだ!」という考えがあって、自分が下がったことで「下がらさせられた(負けた)!」と感じるため、腹が立ったというのです。これは、自分が下がった事実によって腹が立ったわけではなく、自分の者の見方よって腹が立つ(不幸)になっているというのです。
 
同じ状況でも、もしバックして、手を挙げて相手に挨拶をすれば、「譲ってあげた(親切なことをした)」という気持ちになって腹は立たないのではないですか?と言われました。このように、同じ出来事であっても、自分の見方や対処の仕方によって、腹が立ったり優しくなれるのが人なのですとおっしゃいました。
 
出来事だけでなく、考え方にも影響しています。私の経験ですが、年末に街頭募金をするようになりました。きっかけは、このことを教えてくれた社長さんから、辻さんは合理的に考える癖があり、損することを嫌がる。一度、自分に得のあることよりも見返りのない街頭募金なんかをやってみたらどうだと誘われたからです。それに聞いて、そんな人が優しい人が名張に居るわけがないという考え沸いてきて、やりたくないなぁと思いました。それでも、やってみたら、小さい子供さんやおばちゃんなどが募金をしてくれました。小銭入れのお金を全部募金する学生さんがいました。想像する以上にたくさんの人が募金をしてくれました。
 
それまでの私は、バックしたら負けと考えているから、バックさせられたら腹が立つ(不幸)。優しい人は少ないと考えているから、募金をやりたくないわけです(冷たい人)。そう考えると、私たちが見ている世界は、自分自身の投影だと思えるのです。つまり考え方、捉え方でいろんな見え方をします。(幸せにも不幸にも、優しくも冷たくもなります。)
ところが、一旦誤ったものの見方(認知、信念)をしてしまうと、そうした多角的な見方が出来なくなってしまうのです。こうしたものの見方を「認知のゆがみ」と言われます。
 
この「認知のゆがみ」の面倒なところは、本人にその自覚がないことです(私でいえば、バックしたら負け、優しい人は少ないという歪んだ信念や認知)。その上、自分の考えを肯定する事実ばかりを探してしまうために(相手をバックさせる。募金している人を意識しない)実際にそういう世界に見えてしまうようです。それから逃げるためにも自分の考えと異なる事実はないかをよく見ていく必要がありますね。
 
これは、対人関係でもあると思います。あの人は○○な人だからとレッテルを貼りがちですが、○○なときもあり、そうでない事実もあるはずです。自分が見落としている事実をキチンと観察していきたいと思います。