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47号 万協製薬見学会

2021.12.01

万協製薬さんをご存知でしょうか? 経営のノーベル賞と言われる日本経営品質賞を二度受賞された三重県が誇る製薬会社さんです。

 
 
 

実は、万協製薬さんは三重県が発祥ではなく、神戸なのです。なんで神戸の会社が三重県に来られたのかと言いますと、阪神大震災が原因です。

 
 
 

松浦さんが30代のころに、被災されました。当時の首相が勝手に会社付近を激震地に指定したために、創業の地での再建は不可能となりました。従業員は会社の再建よりも早く退職金を払ってほしいと懇願したそうです。

 

さらに、倒壊した建物を片付けるためにボランティアが来てくれるのですが、朝から待っても一向にやってこずに、夕方にやってきて「早く指示してください」という人もいたそうです。

 
 
 

「もう夕方だから、お気持ちだけいただきますのでお帰りください」と丁寧に断る松浦さんに対して、「なんだと! 遠くからきてやったのに、こんな簡単なことも指示できないのか! だからお前は、今こんな目にあっているんだ!」とどやされることもあったそうです。

 
 
 

それに対して「そうですね」と苦く笑うだけの日々、心がゆがんでいくのを感じていたそうです。何度もこのお話を聞かせていただいていますが、いつも私の心は揺さぶられます。私がこの体験をしたらどうだっただろうと思うと、涙が出てきます。

 
 
 

たった一人で会社の再建を志した松浦社長は、支援会社をようやく見つけました。支援の条件は、その会社の7億円にもおよぶ債務保証を引き受け社長になることでした。ひどい話だと思いました。私なら承諾しないと思いますが、再建を志す松浦社長は、この条件を飲み、商品の製造にこぎつけます。そして、販売を一任していた会社に「万協製薬はなくなりますが、パッケージに開発:万協製薬と入れさせて欲しい」とお願いすると、その申し出はあっさりと拒否されました。

 
 
 

その理由は「たくさんの会社名が入っていたら、顧客は高いものを買わされていると感じるからだめだ。お前のノスタルジーに付き合う気はない」と言われたそうです。この出来事は、震災から、たった一ヶ月のことでした。

 
 
 

松浦さんは、会社を再建するために、社員と別れ、他社の債務を背負ってまで、商品を製造したのに、見返りがこれだった! と言われます。涙が出たそうです。

 
 
 

このころを振り返ると、松浦さんはいつも誰かに励ましてもらいたかった。でもそんな人は出てこなかった。それで自分がそんな人になろうと決心されたそうです。この後は、ご自身の著書「人に必要とされる会社をつくる」に詳しく書かれています。

 
 
 

この話を聞いて、私が思い出すのは、戦国武将の山中鹿介です。彼は尼子氏という戦国大名の家臣でした。尼子氏は毛利家に滅ぼされます。その尼子氏再建のために、失敗と再起を繰り返しながら鹿之助は戦っていきます。それは苦難の道しかありません。それでも鹿之助は、さらにいっそうの苦難を求めて神に「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」と祈りました。尼子家再興は、彼にとってそれほど高い「志」だったのだと思います。

 
 
 

残念ながら彼の尼子家再興の願いは通じませんでしたが、「志」に生きることろは、松浦さんと同じだと思いました。

 
 
 

マツウラー(松浦ファン)を掲げているので、少し熱くなりすぎました。すみません。万協製薬さんの強さは、ご自身ではODMアウトソーシングサービス業に転進したおかげだと言ってられます。

 
 
 

OEMは、よく聞く言葉ですね。他社ブランドの製品を製造することです。英語は省略します。ODMは、他社ブランドの製品を開発して製造することです。商品開発力があることがOEMとの大きな違いです。

 
 
 

具体的には

 

①スキンケアの領域に絞る(ニッチ戦略)

 

②自社ブランドを捨て、技術開発と製造に特化してコストや納期での優位性を持つ。マーケティングは顧客に任せる

 

③顧客との共同開発を行うが、開発は自社で行う。

 
 
 

医薬品には有効成分が多種あり、それぞれに長期安定性が求められます。独自乳化技術により安価で、多種の効用を持つ独自の商品を顧客向けに作ってられます。

 
 
 

今回初めて工場見学をさせていただきました。マックスバリューだった建物を工場にされています。今まで5つ工場を作られていますが、すべて居抜きだそうです。こうすることでイニシャルコストを下げれます(第六工場は初めて居抜じゃないそうです)。

 
 
 

工場での説明を聞いて、一番驚いたのは、機械の稼働率の低さです。50%を超えたら、新しい機械を購入するそうです。薬の製造は許可制になっていて、新しいラインを申請して、実際に作るとなると4年くらいはかかるそうです。製造能力が不足してから、機械を購入しているようでは間に合わないからだそうです。

 
 
 

これだけの製造能力があれば、急な注文の対応や新商品の立ち上げもスムーズに行えます。この製造力と開発力で年間50種類もの新商品を市場へ投入されています。開発力、対応力の高さが、顧客の信頼を勝ち得ているのだと思います。規制を逆手に取った戦略だと思いました。

 
 
 

すばらしいのは、業績や工場だけではありません。機械の電源はすべて天井から取っています。もし地震が起こったら、電源が落ちたら部屋が真っ暗になる。非難する時にコードが床にあると従業員が転んで、床に落ちた窓ガラスの破片で怪我をするかもしれない。それを防ぐためでした。

 
 
 
 

また真っ暗になっても非常口まで行けるようにと夜光シールを通路に貼ってありました。通路には何も置かないというルールを徹底されていました。

 

震災を体験され、何かあっても働く人の安全を担保するために工夫されている松浦社長の優しさが素敵だと思いました。

 

語りつくせませんが、今回はこれでおしまいとします。